

2010年08月31日
8月『ゆずり葉 Joint Live』でしたぁ~(°∀°)b
8月『ゆずり葉 Joint Live』終了しましたぁ~

ちょっとお客様は少なめでしたが、楽しんでLiveすることができたと思います。
千波楽区の皆様、ラムコFCリーダー、ゆずり葉スタッフの皆様・・・そして
お越し頂きました皆様、ありがとうございました。
一区切りでし。少しの間お休みでぇす。
2010年08月29日
明日は『ゆずり葉 Joint Live』でしぃ~

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さて、明日8月29日(日)は、
『家カフェ・ゆずり葉』さんでJoint Liveです。活動休止前最後のStreet Liveで練習してきました。
音友『千波楽区』さんとのJointでし。
15:00から蔵を改造したギャラリーで行います。
ゆったり、まったり、ほっこりした寛ぎのLiveですよぉ。
皆様のお越しをお待ちしていまぁす。
ギャラリー・カフェ ゆずり葉
住所:〒310-0847 茨城県水戸市米沢町432-1
TEL:029-247-6236
※路線バスによるアクセス方法
水戸駅北口⑧番バス停より、関東鉄道『払沢行』へ乗車。約15分
バス停『荒谷一班』下車 0分
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2010年08月18日
アポトーシス
【アポトーシス】
(apoptosis)自らが属する個体をよりよい状態に保つために、細胞が自ら死ぬこと。
Live活動休止の件は決してネガティブな面だけではありません。
この気持ちをどう表現したらぃぃかなぁ~って考えてたどり着いたのが【アポトーシス】でした。
いわゆる『秋には枯れ葉が落ちて、春には新しい芽を出す。』って事なんです。
今回は、時間的な長さではなく、自分自身の中に新しい芽が生まれたのを確認できた時に
再開しようと思います。
再開した時、全く今の唄と変わりないのかもしれません。
それは、その時に感じたままを表現したいと思います。
(apoptosis)自らが属する個体をよりよい状態に保つために、細胞が自ら死ぬこと。
Live活動休止の件は決してネガティブな面だけではありません。
この気持ちをどう表現したらぃぃかなぁ~って考えてたどり着いたのが【アポトーシス】でした。
いわゆる『秋には枯れ葉が落ちて、春には新しい芽を出す。』って事なんです。
今回は、時間的な長さではなく、自分自身の中に新しい芽が生まれたのを確認できた時に
再開しようと思います。
再開した時、全く今の唄と変わりないのかもしれません。
それは、その時に感じたままを表現したいと思います。
2010年08月17日
もし・・・
8/29のゆずり葉Joint Liveを境として、Street Liveを含めたLive活動を休止することにしました。
理由は・・・
自分自身の『欲』に対して、自らが処理できなくなってしまったからです。
自身の実力を棚に上げ、他と比較し始めたら、それは我と慢心の証と
考えていました。
もし、定量的に「心」に「力(エネルギー)」があったとしたら、今は
底をつきかけているような感じです。
自分の心の傷は、誰かの心の傷を癒すことでしか癒せない・・・
能力や言葉じゃない。人を支えるのは誰かがそこにいてくれるという
その事実なんだ。
あちきを支えてくれた、いつか読んだ本の一節です。
あちきにとって、唄うことは人生の拠り所であります。
休止する時間が短くなるのか長くなるのかはわかりません。
それでも、どこかで思いついたように唄っているかもしれません。
もし、どこかであちきを見かけられましたら・・・
「やぁ、COACH!」と声をかけていただければ幸です。
※伴って、ブログの更新頻度がさらに下がるかもしれませんがご容赦ください。
2010年08月02日
スポンサーから一言
『スポンサーから一言』・・・SF作家フレドリック・ウィリアム・ブラウンが著わした短編集のひとつでし。
もう、古典SFになってしまうのかなぁ~


スポンサーから一言・・・あらすじ
時に一九五四年六月九日八時三十分、東西の緊張はこれ以上無く高まり、明日にも戦争が始まらんとしていたその時、ラジオから声が響いた。
「スポンサーから一言」・・・「戦え」
その声は全世界等しく、六月九日の八時三十分に流れた。時差も夏時間も障害とはならず、正確に現地時間の八時三十分に流れたのである。
はたしてそれは何者の仕業なのか、そして世界の運命は―――
この謎の放送は厭戦(えんせん)気分を急速に高め、徴兵事務所の若者の列は消え失せた。
和平に向けての話し合いは、対立から妥協にと雰囲気を一変させたのである。
「スポンサーからの一言」は世界大戦を回避させたのだった。
とまぁ、かいつまめばこんな感じの内容です。
内容としては、朝鮮戦争後の冷戦時に世界中が危惧していた第三次世界大戦へのアンチテーゼ
として書かれているような感想を持ちました。(もっとも、随分昔に読んだのですが・・・)
SF作品の中には、「・・・実は、人類は地球で発生した生命体でなく、地球という星は仮の居住地で
あり、そこには『貸し主』が存在する。」
と言うような設定の物語が少なからずあります。(例/幼年期の終わり:アーサー・C・クラークなど)
『スポンサーから一言』をもう少し読んでみる?




